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129話 待つ2人

last update Last Updated: 2025-04-27 13:16:53

「イレーネ……随分、帰りが遅いな……」

ルシアンはソワソワしながら壁に掛けてある時計を見た。

「ルシアン様、遅いと仰られてもまだ21時を過ぎたところですよ? それに一応成人女性なのですから。まだお帰りにならずとも大丈夫ではありませんか? 大丈夫、きっとその内に帰っていらっしゃいますから。ええ、必ず」

「そういうお前こそ、心配しているんじゃないか? もう30分も窓から外を眺めているじゃないか」

ルシアンの言う通りだ。

リカルドは先程から片時も窓から視線をそらさずに見ていたのだ。何故ならこの書斎からは邸宅の正門が良く見えるからである。

「う、そ、それは……」

思わず返答に困った時、リカルドの目にイレーネが門を開けて敷地の中へ入ってくる姿が見えた。

「あ! イレーネさんです! イレーネさんがお帰りになりましたよ!」

「何? 本当か!?」

ルシアンは立ち上がり、窓に駆け寄ると見おろした。するとイレーネが屋敷に向かって歩いてくる姿が目に入ってきた。

「帰って来た……」

ポツリと呟くルシアン。

「ほら! 私の申し上げた通りではありませんか! ちゃんとイレーネさんは戻られましたよ!?」

「うるさい! 耳元で大きな声で騒ぐな! よし、リカルド! 早速お前が迎えに行って来い!」

ルシアンは扉を指さした。

「ルシアン様……」

「な、何だ?」

「こういうとき、エントランスまで迎えに行くか行かないかで女性の好感度が変わると思いませんか?」

「こ、好感度だって?」

「ええ、そうです。きっとルシアン様が笑顔で出迎えればイレーネさんは喜ばれるはずでしょう」

「何だって!? 俺に笑顔で出迎えろと言うのか!? 当主の俺に!?」

「そう、それです! ルシアン様!」

リカルドが声を張り上げる。

「良いですか? ルシアン様。まずは当主としてではなく、1人の男性としてイレーネさんを出迎えるのです。そして優しく笑顔で、こう尋ねます。『お帰り、イレーネ。今夜は楽しかったかい?』と」

「何? そんなことをしなくてはいけないのか?」

「ええ、世の男性は愛する女性の為に実行しています」

そこでルシアンが眉を潜める。

「おい、いつ誰が誰を愛すると言った? 俺は一言もそんな台詞は口にしていないが?」

「例えばの話です。とにかく、自分を意識して欲しいならそうなさるべきです。では少し練習してみましょうか?」

「練習までしな
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    「ま、まさか……ベアトリス? 君なのか!?」ルシアンの顔に驚きの表情が浮かぶ。「ええ、そうよ。2年ぶりね……会いたかったわ。本当に」それは本心からの言葉だった。だが、ルシアンの顔は曇る。「今更……何故俺の前に現れたんだ? 2年も経って……あんな手紙だけで行き先も告げずにいなくなったのに?」「仕方なかったのよ。あの時は色々あったから……だけど、その態度は何? こっちはどれほどあなたを思っていたのか知りもしないくせに。私を責めて、挙げ句にさっき一緒にいた女性は誰なのよ!」自分の立場も忘れて、ヒステリックな声をあげるベアトリス。「何だって? 彼女を見たのか?」ルシアンは眉を潜めた。「ええ、見たわ。とってもチャーミングな女性だったわね? 笑顔がとても素敵だったわ……彼女の悲しい顔が見たくないなら、場所を変えましょう。もしこの場に彼女が戻ってきたら、私何を言い出すか分からないわよ?」「……脅迫するつもりか?」その言葉に、ベアトリスの美しい顔が歪む。「聞き捨てならない言葉ね? かつては、あんなに愛し合った恋人同士だったというのに。何なら彼女に教えてあげましょうか? 私達がこれまでどんな風に愛し合ってきたか……」「やめてくれ!」ルシアンは声を荒げた。「……分かった、場所を移動しよう……」「ええ、懸命な判断ね。それじゃ別の場所へ行きましょう?」ベアトリスは美しい笑みを浮かべると、背を向けて歩き始めた。「イレーネ……」ルシアンはポツリと呟き、イレーネがいる方向を振り返った。(すまない、イレーネ。だが……どうしても君を傷つけたくは無いんだ……)ルシアンは覚悟を決めて、ベアトリスの後をついて行くことにした。ときに激しい情熱をぶつけてくるベアトリス。このままイレーネと鉢合わせすれば、気の強いベアトリスが何をしでかすか分からない。(昔は、彼女のそういう気の強いところが好きだったが……)けれど、今のルシアンはイレーネと過ごす時間が何よりも大切になっていた。明るく天真爛漫な彼女。それでも時折、自分だけに垣間見せる弱さ。そんなイレーネを守ってやりたい。彼女を心の底から笑える様にさせてあげたい。それだけ大きな存在になっていたのだ。(すまない、イレーネ。ベアトリスときっちり話をつけたら、必ず迎えに行くから……どうか、待っていてくれ……!)け

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   135話 運命のレセプション ③

     約40分前のこと――顔にヴェールをかぶせ、イブニングドレス姿のベアトリスがレセプション会場に入場した。「ベアトリス、君は今や世界的に有名な歌姫なんだ。時間になるまではヴェールを取らない方がいい」一緒に会場入りしたカインが耳打ちしてきた。「ええ。大丈夫、心得ているわ」ベアトリスは周囲を見渡しながら返事をする。「一体さっきから何を捜しているんだ?」「別に、何でも無いわ」そっけなく返事をするベアトリスにカインは肩をすくめる。「やれやれ、相変わらずそっけない態度だな。もっともそういうところもいいけどな」「妙な言い方をしないでくれる? 言っておくけど、私とあなたは団員としての仲間。それだけの関係なのだから」ベアトリスが周囲を見渡しているのには、ある理由があった。本当は、このレセプションに参加するつもりはベアトリスには無かった。だが、貴族も参加するという話を耳にし、急遽出席することにしたのだ。(今夜のレセプションは周辺貴族は全て参加しているはず……絶対にルシアンは何処かにいるはずよ……!)ルシアンを捜すには、隣にいるカインが邪魔だった。そこでベアトリスは声をかけた。「ねぇ、カイン」「どうしたんだ?」「私、喉が乾いてしまったわ。あのボーイから何か持ってきてもらえないかしら?」「分かった。ここで待っていてくれ」「ええ」頷くと、カインは足早に飲み物を取りに向かった。「行ったわね……ルシアンを捜さなくちゃ」ベアトリスは早速ルシアンを捜しに向かった――「あ……あれは……ルシアンだわ!」捜索を初めて、約10分後。ベアトリスは人混みの中、ついにルシアンを発見した。「ルシアン……」懐かしさが込み上げて近づこうとした矢先、ベアトリスの表情が険しくなる。(だ、誰なの……!? 隣にいる女性は……!)ルシアンの隣には彼女の知らない女性が立っていた。金色の美しい髪に、人目を引く美貌。品の良い青のドレスがより一層女性の美しさを際立たせていた。彼女は笑顔でルシアンを見つめ、彼も優しい眼差しで女性を見つめている。それは誰が見ても恋人同士に思える姿だった。「あ、あんな表情を……私以外の女性に向けるなんて……!」途端にベアトリスの心に嫉妬の炎が燃える。(毎日厳しいレッスンの中でも、この2年……私は一度も貴方のことを忘れたことなど無かったのに

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   134話 運命のレセプション ②

     馬車が到着したのは、デリアの町の中心部にある市民ホールだった。真っ白な石造りの大ホールを初めて目にしたイレーネは目を丸くした。「まぁ……なんて美しい建物なのでしょう。しかもあんなに大勢の人々が集まってくるなんて」開け放たれた大扉に、正装した大勢の人々が吸い込まれるように入場していく姿は圧巻だった。「確かに、これはすごいな。貴族に政治家、会社経営者から著名人まで集まるレセプションだからかもしれない……イレーネ。はぐれないように俺の腕に掴まるんだ」ルシアンが左腕を差し出してきた。「はい、ルシアン様」2人は腕を組むと、会場へと向かった。 「……ルシアン・マイスター伯爵様でいらっしゃいますね」招待状を確認する男性にルシアンは頷く。「そうです。そしてこちらが連れのイレーネ・シエラ嬢です」ルシアンから受付の人物にはお辞儀だけすれば良いと言われていたイレーネは笑みを浮かべると、軽くお辞儀をした。「はい、確かに確認致しました。それではどう中へお入りください」「ありがとう、それでは行こうか? イレーネ」「はい、ルシアン様」そして2人は腕を組んだまま、レセプションが行われる会場へ入って行った。 「まぁ……! 本当になんて大勢の人たちが集まっているのでしょう!」今まで社交界とは無縁の世界で生きてきたイレーネには目に映るもの、何もかもが新鮮だった。「イレーネ、はしゃぎたくなる気持ちも分かるが、ここは自制してくれよ? 何しろこれから大事な発表をするのだからな」ルシアンがイレーネに耳打ちする。「はい、ルシアン様。あの……私、緊張して喉が乾いておりますので、あのボーイさんから飲み物を頂いてきても宜しいでしょうか?」イレーネの視線の先には飲み物が乗ったトレーを手にするボーイがいる。「分かった。一緒に行きたいところだが、実はこの場所で取引先の社長と待ち合わせをしている。悪いが、1人で取りに行ってもらえるか? ここで待つから」「はい、では行って参りますね」早速、イレーネは飲み物を取りにボーイの元へ向かった。「すみません、飲み物をいただけますか?」「ええ。勿論です。どちらの飲み物にいたしますか? こちらはシャンパンで、こちらはワインになります」 ボーイは笑顔でイレーネに飲み物を見せる。「そうですね……ではシャンペンをお願い致します」「はい、

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   133話 運命のレセプション ①

     ルシアンが取引を行っている大企業が開催するレセプションの日がとうとうやってきた。タキシード姿に身を包んだルシアンはエントランスの前でリカルドと一緒にイレーネが現れるのを待っていた。「ルシアン様、いよいよ今夜ですね。初めて公の場にイレーネさんと参加して婚約と結婚。それに正式な次期当主になられたことを発表される日ですね」「ああ、そうだな……発表することが盛り沢山で緊張しているよ」「大丈夫です、いつものように堂々と振る舞っておられればよいのですから」そのとき――「どうもお待たせいたしました、ルシアン様」背後から声をかけられ、ルシアンとリカルドが同時に振り返る。すると、濃紺のイブニングドレスに、金の髪を結い上げたイレーネがメイド長を伴って立っていた。その姿はとても美しく、ルシアンは思わず見とれてしまった。「イレーネ……」「イレーネさん! 驚きました! なんて美しい姿なのでしょう!」真っ先にリカルドが嬉しそうに声を上げ、ルシアンの声はかき消される。「ありがとうございます。このようなパーティードレスを着るのは初めてですので、何だか慣れなくて……おかしくはありませんか?」「そんなことは……」「いいえ! そのようなことはありません! まるでこの世に降りてきた女神様のような美しさです。このリカルドが保証致します!」またしても興奮気味のリカルドの言葉でルシアンの声は届かない。(リカルド! お前って奴は……!)思わず苛立ち紛れにリカルドを睨みつけるも、当の本人は気付くはずもない。「はい、本当にイレーネ様はお美しくていらっしゃいます。こちらもお手伝いのしがいがありました」メイド長はニコニコしながらイレーネを褒め称える。「ありがとうございます」その言葉に笑顔で答えるイレーネ。「よし、それでは外に馬車を待たせてある。……行こうか?」「はい、ルシアン様」その言葉にリカルドが扉を開けると、もう目の前には馬車が待機している。2人が馬車に乗り込むと、リカルドが扉を閉めて声をかけてきた。「行ってらっしゃいませ、ルシアン様。イレーネさん」「はい」「行ってくる」こうして2人を乗せた馬車は、レセプション会場へ向かって走り始めた。「そう言えば私、ルシアン様との夜のお務めなんて初めての経験ですわ。何だか今から緊張して、ドキドキしてきました」イレーネ

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   132話 ルシアンの友人

    「こちらの女性がルシアンの大切な女性か?」イレーネとルシアンが工場の中へ入ると、ツナギ服姿の青年が出迎えてくれた。背後には車の部品が並べられ、大勢の人々が働いていた。「え?」その言葉にイレーネは驚き、ルシアンを見上げる。しかし、ルシアンはイレーネに視線を合わせず咳払いした。「ゴホン! そ、それでもう彼女の車の整備は出来ているのだろうな?」「もちろんだよ。どうぞこちらへ」「ああ、分かった。行こう、イレーネ」「はい、ルシアン様」青年の後に続き、イレーネとルシアンもその後に続いた。「どうぞ、こちらですよ」案内された場所には1台の車が止められていた。何処か馬車の作りににた赤い車体はピカピカに光り輝いており、イレーネは目を輝かせた。「まぁ……もしかしてこの車が?」イレーネは背後に立つルシアンを振り返った。「そう、これがイレーネの為の新車だ。やはり、女性だから赤い車体が良いだろうと思って塗装してもらったんだ」「このフードを上げれば。雨風をしのげますし、椅子は高級馬車と同じ素材を使っていますので座り心地もいいですよ」ツナギ姿の男性が説明する。「ルシアン様の車とはまた違ったデザインの車ですね。あの車も素敵でしたが、このデザインも気に入りました」イレーネは感動しながら車体にそっと触れた。「まだまだ女性で運転する方は殆どいらっしゃいませんが、このタイプは馬車にデザインが似ていますからね。お客様にお似合いだと思います」「あの、早速ですが乗り方を教えてください!」「「え!? もう!?」」ルシアンと青年が同時に驚きの声をあげた――**** それから約2時間――「凄いな……」「確かに、凄いよ。彼女は」男2人はイレーネがコース内を巧みなハンドルさばきで車を走らせる様を呆然と立ち尽くしてみていた。「ルシアン、どうやら彼女は車の運転の才能が君よりあるようだな?」青年がからかうようにルシアンを見る。「あ、ああ……そのようだ、な……」「だけど、本当に愛らしい女性だな。お前が大切に思っていることが良くわかった」「え? な、何を言ってるんだ?」思わず言葉につまるルシアン。「ごまかすなよ。お前が彼女に惚れていることは、もうみえみえだ。女性が運転しても見栄えがおかしくないようなデザインにしてほしいとか、雨風をしのげる仕様にして欲しいとか色々

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   131話 ルシアンからの褒美

     10時――イレーネは言われた通り、丈の短めのドレスに着替えてエントランスにやってきた。「来たか、イレーネ」すると既にスーツ姿に帽子を被ったルシアンが待っていた。「まぁ、ルシアン様。もういらしていたのですか? お待たせして申し訳ございません」「いや、女性を待たせるわけにはいかないからな。気にしないでくれ。それでは行こうか?」早速、扉を開けて外に出るとイレーネは声を上げた。「まぁ! これは……」普段なら馬車が停まっているはずだが、今目の前にあるのは車だった。「イレーネ、今日は馬車は使わない。車で出かけよう」「車で行くなんて凄いですね」「そうだろう? では今扉を開けよう」ルシアンは助手席の扉を開けるとイレーネに声をかけた。「おいで。イレーネ」「はい」イレーネが助手席に座るのを見届けると、ルシアンは扉を閉めて自分は運転席に座った。「私、車でお出かけするの初めてですわ」「あ、ああ。そうだろうな」これには理由があった。ルシアンは自分の運転に自信が持てるまでは1人で運転しようと決めていたからだ。しかし、気難しいルシアンはその事実を告げることが出来ない。「よし、それでは出発しよう」「はい、ルシアン様」そしてルシアンはアクセルを踏んだ――****「まぁ! 本当に車は早いのですね? 馬車よりもずっと早いですわ。おまけに少しも揺れないし」車の窓から外を眺めながら、イレーネはすっかり興奮していた。「揺れないのは当然だ。車のタイヤはゴムで出来ているからな。それに動力はガソリンだから、馬のように疲弊することもない。きっと今に人の交通手段は馬車ではなく、車に移行していくだろう」「そうですわね……ルシアン様がそのように仰るのであれば、きっとそうなりまね」得意げに語るルシアンの横顔をイレーネは見つめながら話を聞いている。その後も2人は車について、色々話をしながらルシアンは町の郊外へ向かった。****「ここが目的地ですか?」やってきた場所は町の郊外だった。周囲はまるで広大な畑の如く芝生が広がり、舗装された道が縦横に走っている。更に眼前には工場のような大きな建物まであった。「ルシアン様。とても美しい場所ですが……ここは一体何処ですか?」「ここは自動車を販売している工場だ。それにここは車の運転を練習するコースまである。実はここで俺も

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